赤ベコ、ドイツと会津出身マツエ大佐から学ぶ「命を考える」こと - 2013.02.01 Fri

ドイツのミュンヘン旅行で出会ったPETERUさん。赤ベコさんとのお話しです。

「ドイツ人の気質は日本人の気質と似ているようです。
時間を守る、仕事をしっかりする、
そういう「ちゃんとした」文化が合うのでしょうね。
しかしながら、原発に対しては「ハッキリNO!」
ドイツ人の過去の負の遺産から反省する気質が、
良い意味で世界に発信されていると思います。」

「似ているとは言え、ドイツ人と日本人との大きな違い、それは、
「一般市民レベル」で、一人一人、強い意思があることだと思います。
みんな、自分のアタマで命を考えることができる。」

「原発の新安全基準骨子」がまとめられた日本と脱原発にふみきったドイツ。
似ているようで似ていない2国。これからも、赤ベコとウォッチしていきましょう。
福島県会津若松市と徳島県鳴門市のつながりには、
ドイツが関わっています。
徳島県鳴門市の「板東俘虜収容所」の所長は
福島県会津若松出身「マツエ大佐」こと、松江豊寿(とよひさ)さん。
マツエ大佐の言葉
「彼らも、祖国のために戦ったのです。
戦争が終わってドイツへ帰還できる日まで丁重に扱うべきだ。」
今の福島をみたら、こんな風に考えるのではないでしょうか。
「私たちも、私たちの地で生きているように、
彼らも、彼らの地で生きているのです。
すべての人々に、健康で安全な生活を保障できるようにすべきだ。」

会津武士を支えた「誇り」他人への「思いやり」、
「文化的に良いものはよいと認め、伸ばす、活躍の場を作る」
ドイツ俘虜たちは、演劇、スポーツ、講演、学習、栽培、製菓、牧畜など、
さまざまな活動を収容所で行ったそうです。
松江豊寿さんが大切にされていたことは、
今の世界や日本でも、必要ですよね。

ベートーヴェンの交響曲第九番が日本で初めて全曲演奏されたのも、
ここ板東俘虜収容所。
鳴門の板東収容所で初めて全楽章演奏したという
ベートーヴェンの第九番を
大好きなTHE ECCENTRIC OPERAがアレンジ
「よろこびのうた」をお届けします。

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赤ベコ ドイツのミュンヘンへ - 2013.01.26 Sat
パッカパッカ パカパカ・・・
赤ベコの友達かなと思いきや、振り向くとそこには!

馬に乗ったおまわりさんが、町の巡回をしています。
今回は、ドイツのミュンヘンへ旅行した
PETERUさんから
ミュンヘン市内で撮影した市場の美味しいものをお届けします。
前回に引き続き、
雪の会津若松から四国の徳島県鳴門市へ。
ここは会津若松にとって、たいへんゆかりのある方が
活躍されていた場所だったのです。
大きな赤ベコと、小さな赤ベコが出会い、
ドイツの輪投げを楽しんでいます。

輪投げを楽しんだ後は、ちょっと一休み。
ドイツビールを飲むとしましょうか。

ドイツビールにぴったりの食べ物と言えばやっぱり、これ。
ミュンヘン市内でみかるお肉やソーセージの風景!

チーズも種類が豊富ですね。

ミュンヘン旅行を終え、ドイツビールを飲みながら、
ドイツのソーセージを食べる赤ベコ。
旅の思い出は、旅の食べ物と共に・・・。

次回も、会津ードイツに関わる旅をお届けします。

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赤ベコの友達かなと思いきや、振り向くとそこには!

馬に乗ったおまわりさんが、町の巡回をしています。
今回は、ドイツのミュンヘンへ旅行した
PETERUさんから
ミュンヘン市内で撮影した市場の美味しいものをお届けします。
前回に引き続き、
雪の会津若松から四国の徳島県鳴門市へ。
ここは会津若松にとって、たいへんゆかりのある方が
活躍されていた場所だったのです。
大きな赤ベコと、小さな赤ベコが出会い、
ドイツの輪投げを楽しんでいます。

輪投げを楽しんだ後は、ちょっと一休み。
ドイツビールを飲むとしましょうか。

ドイツビールにぴったりの食べ物と言えばやっぱり、これ。
ミュンヘン市内でみかるお肉やソーセージの風景!

チーズも種類が豊富ですね。

ミュンヘン旅行を終え、ドイツビールを飲みながら、
ドイツのソーセージを食べる赤ベコ。
旅の思い出は、旅の食べ物と共に・・・。

次回も、会津ードイツに関わる旅をお届けします。

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赤ベコ 徳島県鳴門市ヘ 会津若松とドイツのつながりを知る旅 - 2013.01.19 Sat
みなさんこんにちは。
今回は僕たちの故郷―福島県会津若松市とつながりのある
徳島県鳴門市へやってきました。

四国に来たからには、お遍路体験。
はじめに、八十八か所めぐり第一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」へ
行ってきました。

霊山寺ですっかり心が洗われた赤ベコさん。
ペコペッコと、歩いていると「ドイツ兵の慰霊碑」にたどりつきました。
徳島県鳴門市にドイツ兵とつながりがあり、
会津若松出身の「松江豊寿」さんが活動された舞台があるというのです。


「板東俘虜収容所」
「第一次世界大戦が始まると、日本も参戦し、
ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。
敗れたドイツ兵士約5000人が俘虜となり、
日本各地の収容所へ送られました。
そのうち、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1000人が
1917年(大正6)年から1920年までの約三年間を
板東俘虜収容所で過ごしました。」
鳴門市ドイツ館パンフレットより

ドイツ兵が残した言葉
「世界のどこにバンドーのような収容所があっただろうか。
世界のどこに、マツエ大佐のような収容所長がいただろうか」
いったい会津若松出身の「マツエ大佐」の業績が残っている
徳島県鳴門市の「板東俘虜収容所」とは、どんな所なのかな。

鳴門市ドイツ館 ミュージアムショップへ。1月15日にいきました。
ここで大きな赤ベコが待っていてくれました。
たくさん遊ばせくれて、ダンケ!です。
鳴門市ドイツ館 ミュージアムショップ

次回から2回にわたって、
会津若松―徳島鳴門―ドイツ(ミュンヘン)へと
赤ベコが旅をします。こうご期待。

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今回は僕たちの故郷―福島県会津若松市とつながりのある
徳島県鳴門市へやってきました。

四国に来たからには、お遍路体験。
はじめに、八十八か所めぐり第一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」へ
行ってきました。

霊山寺ですっかり心が洗われた赤ベコさん。
ペコペッコと、歩いていると「ドイツ兵の慰霊碑」にたどりつきました。
徳島県鳴門市にドイツ兵とつながりがあり、
会津若松出身の「松江豊寿」さんが活動された舞台があるというのです。


「板東俘虜収容所」
「第一次世界大戦が始まると、日本も参戦し、
ドイツの租借地だった中国の山東半島にある青島を攻撃しました。
敗れたドイツ兵士約5000人が俘虜となり、
日本各地の収容所へ送られました。
そのうち、四国の徳島・丸亀・松山にいた約1000人が
1917年(大正6)年から1920年までの約三年間を
板東俘虜収容所で過ごしました。」
鳴門市ドイツ館パンフレットより

ドイツ兵が残した言葉
「世界のどこにバンドーのような収容所があっただろうか。
世界のどこに、マツエ大佐のような収容所長がいただろうか」
いったい会津若松出身の「マツエ大佐」の業績が残っている
徳島県鳴門市の「板東俘虜収容所」とは、どんな所なのかな。

鳴門市ドイツ館 ミュージアムショップへ。1月15日にいきました。
ここで大きな赤ベコが待っていてくれました。
たくさん遊ばせくれて、ダンケ!です。
鳴門市ドイツ館 ミュージアムショップ

次回から2回にわたって、
会津若松―徳島鳴門―ドイツ(ミュンヘン)へと
赤ベコが旅をします。こうご期待。

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